こんにちは、ミスやん.です。
最近スピリチュアルブームの中に、霊感はみなに備わっているという言葉をよくみかけるようになった気がいたします。
霊感
皆様はどういった印象をいだきますか?
昔から一般的に言われている霊感とは、幽霊が視えるということにあたります。
人の潜在的能力に霊感は備わっていると言われていますが、それも生後半年~1年の間に失われていくのがほとんどになると思います。
赤ちゃんと対面すると、ほとんどの赤ちゃんが私の顔の横(奥)をじっとみることが多いです。(全員ではありません)
私の場合はウォークイン魂のために、守護霊のように背後に飛び出ているその人に気づかれることがあるからです。
そういった意味でも、赤ちゃんが霊感があるという意見には同意です。
そしてそれが失われていくという意見にも同意です。
だとすると、大人になった私たち全ての人に霊感が備わっているということには少し疑問が生まれます。
失われているのならば、それはないということです。
そしてこれは霊感があるものからすれば明らかなのですが、視えるひとと見えない人は明らかに違います。
これは視えない人からしても明らかである話なのですが、視えないからこそその存在を信じられないという話に繋がります。
視える人にとって視えない人とは『ここから先にはいきたくない』の意味もまた伝わらない存在でもあります。
霊感がある人は同じ周波数の方と仲良くなることが多いため、全くない人との出会いもまた少ないからこそ違いに気づけないのかもしれません。
『視える』と『感じる』がセットになっている人がほとんどだとは思います。
「あんまり視たことはことはないけど感じます」という方は、霊感の強弱のお話なので『ある』に値すると思います。
又、霊感が強い人と一緒にいると普段視えない感じない方も視てしまうことがあります。
これは、Aさんの霊を感知するエネルギーフィールドにBさんが入ってしまっていることで起こる現象なので一時的なものでありBさんに霊感はありません。
ただ、Aさんのエネルギーフィールドをきっかけに開花してしまうかたもいますが、これはかなり少ないです。
私はもともと感知する能力が高く、ここいやだなは幼少期から感じることがありました。
実際に目で霊が視えるようになったのは交通事故後からだと思います。
家族もまた、感知する能力にはとても長けていましたが 霊感がものすごく強くて日々怯えて過ごしている人に比べたら霊を視る機会も少ないため、霊感があるとあんまり気づいていません。
生きるのに困らない程度の霊感を所持している家族の中で過ごしていると、霊感があることにすら気づかないこともあります。
しかし、家族間で通じていた話は外では通じません。
その時にこれって霊感だったのかと気づくひともいるでしょう。
霊感の強弱の話になりますと、霊感が備わっていても視える領域が変わってくるためにめちゃくちゃ怖い霊を視てしまう人とそうでない人に分かれます。(実際はグラデーション)
これに加え、守備があるのかもまた大きな違いだと私は感じます。守備の種類は複数あるので守られている数や自発的な行いによっても違いが出るのは明白です。
次に
霊感の有無はDNAだということ。そのなかで強弱もあればパートナーのDNAが加わることにより次の世代の強弱有無もまたかわっていくと思います。
なぜDNAによるといえるのか、それはこの肉体が受信機そのものだからです。
霊感がある人の筋肉は通常の人よりも柔らかいそうです。
これはたくさんの人の体を触る機会とそれに加え霊能力との接点も多い整体師の方からお聞きしました。
特に自分から霊感があるという話はしませんが、整体を受けている最中に『霊感ありますか?』と突然聞かれたのです。
その話がとても面白く霊感、霊能者の話をすることに至ったのですが、そのお話はまたの機会にしたいと思います。
肉体の構成はDNAです。内容的に微々たる変化は食事で多少の変化はありますが、この肉や内臓が構成されたのは母親の胎内でありきっかけは父母それぞれの細胞の一部とそのなかに記録されているDNAのみです。
昨今のスピリチュアル的世界観の中に、みな平等という観点があります。
生まれながらにみな平等。
本当にそうでしょうか?
一表現としてはその通りと感じることもありますが、『みな平等』と『みな同じ』は明らかに違うものとしてみないとこの世界(宇宙)の在り方を知りえることは難しいと私は思います。
みんな同じなら、輪廻転生や魂の修行や知識の肉づけは何の意味もなさないので、その場合私たちは存在すらしていないはずです。
長くなりましたが
そんなに難しくしなくとも霊感は霊感、幽霊や霊の存在(死後)を感知できるかできないかの一択です。
それは今も昔もこれからもかわりません。
話が少しそれましたが、霊感があるかないかの話を今風に言葉を表現してしまうと『みんなある』ということになってしまうということは理解できます。
そしてもう一つ、サイキック能力(超能力)の存在がこの話をややこしくしていることに気づけない人が多いのも要因かもしれません。
サイキック能力と霊感は重なっているところやとても似ているところがあるので深堀りしないかぎり判断が難しいです。
このお話はまた別の機会に綴らせていただきますね。
読んでくれてありがとう。
ミスやん.



